僕の奇妙な浪人物語(前編)

 

プロローグ

書き出しというのはどうしてこうも難しいのでしょうか。どうも、はやとちりです。先日、浪人時代からの友人Yが書いた浪人物語を読んでノセられるがままに、そして同時に流行に乗っかって僕も浪人物語を書いてみたいと思います。グダグダした稚拙な文章ですがご容赦ください。ちなみに結論を先に述べますと、二度と味わえないけどとても楽しい浪人生活でした。全ては浪人時代に出会った友人たちのおかげです。

 高3末2月〜4月まで

2017年2月24、25日、この2日間は現役時代の僕が東大入試に挑戦した日。1日目の数学が過去問に比べかなり簡単だったので「(本当にこんな簡単でいいのか?)」なんて思ったのをよく覚えています。2日目はまず世界史の第一問(古代史でしたね)に面食らい、そして英語で分からなさすぎてパニックになりました。そんなこんなで終わった入試。全く手応えはなく、そのまま高校の卒業式を終え、運命の3月10日を迎えました。

正午になって東大のHPで受験番号を何回も探しました。けれど僕の番号はありませんでした。予想していたけど、それでもショックで思わず涙が溢れてきました。だって寝る間も惜しんで、アホみたいに勉強したのに、その努力をあざ笑うかのように不合格の字を突きつけられたんですよ?泣かないわけないじゃあないですか。その後、高校に行って担任の先生に報告しました。そして何故か担任への申し訳なさから思わずまた泣いてしまいました。あんなに泣いたのっていつ以来だろう?それくらい悔しかったです。

僕は東大一本で挑んだので浪人確定でした。僕が落ち着いてきたころになって、担任に「どこで浪人するつもりなんや?」と聞かれたので「東京の予備校がいいです。駿台河合塾か、どっちがいいですか?」と聞き返しました。すると、「やっぱり東大なら駿台だろ」と言われました。駿台のパンフレットがあったので持ち帰ってどこのコースにしようか考えました。「じっくり基礎からやるコース(スーパー東大文系)」か「とにかく演習メイン(スーパー東大文系演習)」があったのですが、基礎が疎かだったはずなのにイキった僕は演習コースに決めたのでした。今から振り返ればこれはかなりの英断だったと思います(笑)。ちなみにですが僕の出身高校って結構駿台とズブズブの関係だったりするんですね(笑)。だから担任の先生も駿台を勧めてきたのでしょう。まあ、結局は最良の選択だったわけですが。

 3月は全く勉強せず、ゲームに明け暮れました。受験期は封印していたから多少はね?憐れみの目を向けられるのがイヤだったので交友関係はほぼ絶ちました。

4月に入り、東京の祖父母の家に引っ越しました。実は通常授業が始まる前に春期講習に参戦しました。「なるほど、これが駿台か〜」なんて思いながら講習と、よく分からないクラス分けテストを終え、LXというどうやら一番上のクラスに決まったそうです。

 浪人生活の始まり(4月から7月まで)

地元ではなく東京の、しかも駿台の総本山に通うということは名だたる超進学校(開成とか筑駒とか灘とか)出身の奴らが集うということですから「地方」出身の僕がいわゆる「ボッチ」になることは覚悟していました。「大学入ってから友達作ればいいや」なんて思っていました。だって「浪人生」ですよ?友達ができるなんて思うはずがないじゃあないですか。ところが、やっぱり「ボッチ」は寂しいもんで、5月に入る前にはもう「友達がほしい」なんて思うようになりました(笑)。あれは、確か日本史の時間だったでしょうか。同じクラスのSっていうやつが僕に声をかけました。

「ねえ、名前なんていうの?オレ、S(伏せています)っていうからよろしく!!」

こいつすげーな、これが第一印象です。そして同時に嬉しかったです。これがきっかけとなってSを中心としたコミュニティに入ることができたのです。

コミュ力最強で愛すべきバカのS、野球好きでクラスの多くからティラノとか黒すぎとか言われるY、イケメンなのに何か(何とは言わないけど)がおかしいN、おやつ大好きで少食でヤバいやつH、どんな話題もスベり知らずでぽっちゃりしたC、小柄でも食欲や食べる量は僕以上のK、奇跡的に高校は違うけど同じ石川県出身のM、ほっぺがかわいいD、12年間男子校で自他ともに認める「陛下」I、などなど個性豊かでおもしろい奴らと知り合いました。びっくりしました。まさか東京に出て、大学ではなく、しかも予備校なのにこんな友人ができるなんて思っていませんでしたから。休み時間になれば廊下にでてダベり、昼休みになれば前のキッチンカーでご飯を買って教室で食べるかどこか外食しに行って、バカみたいにしゃべって…そしてなぜか荒川の河川敷でサッカーしたり、前期が終わったら打ち上げに行ったりしていました。これが浪人生とは到底思えませんよね(笑)。

ちなみに彼らは個性がめちゃめちゃ強いですが、いわゆる超進学校出身ともあって頭はすごい良いですね。模試でも大体上位の常連ですし、「なんかヤバいところに来てしまったな、けどなんで東大落ちたんだろう?こんな奴らでも東大に落ちるんだから、俺なんて門前払いで良い方なんやろな。俺の知ってる世界は狭すぎた。これが本当の東大受験ってやつか」なんて思ってました。

 

さて、こんな感じにバカをやりつつ、勉強は授業の予習復習程度におさめていたので実は思ったより勉強はしていなかったようです。5月にあった駿台全国判定模試ではまさかの英語で偏差値51という伝説を叩き出し、周りからかなり笑われました。この模試、そこまで難易度は高くないので(河合の全統くらいかな?)東大志望としては非常にマズイ事態でした。どうやら僕はかなりの英弱のようです。後で公開しますが2次試験の英語は爆笑ものですよ(笑)。

 

勝負の夏休み

夏休みは自分を縛る意味で各タームに一個は講習をいれて(無理やりでも)勉強させるようにしました。朝講習受けて自習室にこもって、みたいな感じです。ですが息切れしてはいけないのでやるべきこと(To do リスト)を付箋に書いて自習室の自分のスペースに貼っておき、それが終わったら帰る、という勉強法を実践していました。ダラダラ長い時間適当にやるより、目標を明確化しておいた方が集中できるし、達成感を味わうこともできます。

もし、何かの手違いでこれを読んでる受験生、ないしは将来受験する中高生がいましたらぜひこの勉強法を実践してみて下さい。実際に夏休み明けの模試では随分と成績を上げることができました(特に国語と数学)。霜栄師の講義は講習でしか受けれなかったけど、この人のおかげで国語の伸びは半端なかったです。

語り始めるとつい長くなっちゃうのが僕の悪い癖。後半も書きたいことがたくさんあるので、グダグダした長い文章になる前に区切りもいいですし後期から2回目の受験までの話は後半に回すことにします。拙い文章ですがここまで読んでいただきありがとうございました。