僕の奇妙な浪人物語(後編)

 

後期の始まりと反省

さて、夏休み明けから再開しましょう。後期に入り僕はクラスを一つ落としてしまいました。このことが自らを振り返り、そしてもっと勉強を頑張らねば、というモチベーションになりました。後期が始まって割とすぐに夏の東大実戦模試が返却されました(河合のOPは受けてませんでした)。A判でした。昨年の僕は余裕でE判だったのでこれだけで大きく進歩しているのが分かります。しかも日本史に至っては全国で26位(地歴2科目で51位)とかいう去年の僕ではありえない結果を出したんですね。ちなみに僕の友人は総合でみればもっと上にいますし、冊子にも載ってます。例えば「陛下」ことI君は数学の設問別偏差値で120を叩きだして僕含めクラスの皆が驚いた記憶があります。(ちなみにその問題は全国平均が0.9点で彼は満点とってました)この結果を通して当時の僕は浪人して正解だったと思えるようになりました。

 

不思議な出会い

あれは9月下旬の頃でしょうか。同じコース(前期一緒だった)の女子とよく同じ自習室で会っていたんですが(というか僕が根城にしていた自習室に向こうが来た)突然、「今度から一緒に帰ってくれない?」って聞かれました。自習室が同じだし帰る時間も似たようなもんだったので「まあいいか」って思ってOKしました。最初は他愛もない話(例えばお互いの高校のこととか)をしながら帰っていたんですけど、ある日、「そういえば〇〇のことどう思ってんの?」って聞きました。(〇〇は7月ころからその子にアタックしてたヤツで前編に出てきた僕の友人の誰かです。)すると、「いや~かなりしつこくて困ってるのよね~」と返してきました。「あっそうなんだ」なんて言ってそこからなぜか(僕は一度も経験したことないのに)軽い恋愛相談みたいな感じになっていきましたね(笑)。

それから10月の下旬に差し掛かったころ、一緒に帰っているところを〇〇らに目撃されてしまいました。まあ別に僕は何とも思わなかったんですけど〇〇は相当ショックを受けたそうでこういうところが男子校出身者(全員とは言いません)のめんどくさい所ですよ。別に一緒に帰るくらいいいじゃないですか?ですが彼のことを忖度してやって僕のほうからその子と距離を作ることにしました。下手したら〇〇に殺されてしまうかもしれませんしね(笑)。そうしたら、何とか危機(?)は回避できました。

このときの出来事をいつ振り返っても「なんで俺が忖度せなあかんねん」という感想は変わりません。

余談ですが、その二人はなぜかバレンタインの日に女男という流れで告白し、受験が終わったあとから付き合いはじめ、お互いに東大に受かり今もラブラブなんですね。ほんっっっとにどういった心境の変化があったのかさっぱり分かりません。好きじゃないんじゃなかったんちゃうんかい?!ってツッコんでやりたいくらい訳の分からない二人です。(ちなみにスペイン語選択ですよ)

 秋の大学別模試と心の拠り所

そんなこんながありつつも10月に実は一橋実戦を受けました。なぜかって?駿台生は(東大以外の)実戦模試が1回無料だったから、たったそれだけです。なので適当にやってたんですけど、意外に簡単だったせいもあってかしれっと優秀者の冊子に載りました(笑)。総合で全国2桁なので当然ですよね?11月には東大実践、東大OPを受けました。実践は8月に引き続きA判定でしたがOPC判定でした。若干不安を煽るような結果になりましたが、なんとかなるやろの精神で楽観的に捉えました。

 

そういえばちょうどこの時期Youtube東映公式チャンネルで僕が5才のときに放送されていた仮面ライダー剣ブレイド)という作品が毎週2話ずつ配信されていました。懐かしさのあまりついつい見てしまい、気がつけば毎週の息抜きになっていました。そして友人のN仮面ライダー好きと知り、意気投合したわけですね。(ちなみにこれがきっかけで仮面ライダーに再びハマってしまったのは内緒の話)

 

ちなみにここまで駿台の友人との関わりに限定してきましたが、高校時代の友人との関わりも多少はありましたよ。例えば同級生で親友のHとはよくラインでやり取りしていました。時には進路の相談を受けることもありましたし、下らないことも話しました。ですが、僕は東大、彼は京大を目指して浪人していたので割と心の支えになっていました。ちなみに彼は無事に京大に合格しました。

 

勝負の年を迎えて

12月の頭に後期が終わり、冬期講習の期間となりました。この時期は講習があるときは講習の予習・復習をメインに、またない時期は午前にセンター系、午後に2次試験系をメインに勉強していました。現役時代はセンターに力を入れすぎてセンター後に記述が全然書けなくなるという現象に陥ったのでその反省としてこのような勉強法にしました。光陰矢のごとしとはよく言ったものです。気がつけば年が明け、センター試験がやってきました。浪人生が受けるセンターというのは(他の人は知りませんが)「絶対に失敗できない」というプレッシャーがあって無駄に怖かったです。ですがその一方で流れを完璧に知っているので「早く終わんねーかな」とか「ここの待ち時間長いんだよなー」とも思っていました。これは2次試験も同じです。なんだかんだセンター試験が終わり教室を出た時、空の青さになぜか感動してしまいました。今思い返せばあれは一種の開放感だったのかなと思います(というか絶対そうですね)。点数は最後に晒します。

 

入試の始まりと振り返り

さて、2月に入り、滑り止めとして早稲田の政経商学部、慶応の経済・商学部の受験がありました。びっくりしたのは僕が思っていたより難しく、解けなかったことです。おかしい、あんなに勉強したはずなのに。昨年のトラウマが蘇りそうでしたね。

 

そしてなんだかんだで迎えた東大2次試験の本番当日。プレッシャーよりも「今年は何が出るんだろ、ワクワク」みたいな変なテンションでのぞみました(笑)。昼は駿台の友人ではなく、小学校から高校まで同じの親友(Hとは別の人。地元で浪人)と昼飯を食べて互いの近況報告やこれからの科目のチェックなどしていました。そんなこんなで2次試験が終わりました。開放感と脱力感でいっぱいだったのを覚えています。それから封印していたゲームを解放するためすぐにPS4を買いに行って、思う存分ゲームを楽しみました。え?後期試験?知りませんねえ

 

 春は必ず訪れる

2018310日、合格発表当日。こういう日に限ってちゃんと寝過ごさずに起きてしまい、緊張に押しつぶされる午前を過ごすことになりました。モンハンでもしてれば気が紛れるかと思いましたが、30分前になるともう手につかないくらい緊張してしまいました。高校の同級生の子とラインしつつ、けれどなかなか時間が経たないんですね、こういう時に限って。そしてツイッターをふと見るとまだ10分くらい前なのにどうやら発表されてるらしく、僕も震える手でスマホをさわり、東大のHPを開いて、番号を探しました。そしてあったんですよ。自然と涙がこぼれてきました。嬉し泣きです。そして親や親戚に連絡して、すぐに本郷に向かいました。本郷には駿台の友人がいました。みんなも受かったようでとても嬉しかったですね。そんな感動をバックに僕の浪人生活はここで幕を下ろすわけです。ちなみに私大のほうは慶応商以外全て落ちていました。落ちたとわかったときはめっちゃ焦りましたけど東大に受かったので全てチャラで(笑)。

 

点数開示 

さて、私の2次試験の点数を晒します。左は2017年(現役)、右は2018年(浪人)です。

f:id:hayatochirix:20181229170135j:plain
f:id:hayatochirix:20181229170140j:plain


満点は上から120,120,80,60,60となっています。圧倒的英弱なのが分かるでしょ?浪人を経ての進歩は数学と国語ですかね。50点足りずに落ちても1年浪人すれば60点伸ばすことができることを実証したわけですよ。その一方で先程登場した親友のT0.6点(だったかな?)差で落ちてしまいました。これがこの大学の怖いところです。

 

最後に

最後に僕からこれを読んでくれた方に向けて思うことを話して終わろうと思います。これを書いている2018年の暮れの時点でも未だに僕が東大に入学し、東大生になったのだというのが信じられません。大学では当たり前ですが周りは皆東大生なので実感したが薄れてしまうのもありますね。僕の地元では年に県全体で40人ほどしか東大生が生まれないのでどうやら尊敬の眼差しで見られるそうです。確かに「東大」という大学はテレビの影響も大きいですが、天の上の存在のように思われがちです。ですが、僕が実際に東大に入って分かったのは「みんなそこら辺にいる普通の人じゃん」ってことです。(あっ、ここで「普通の人」って何だろう?とかいう質問はなしでお願いします。)ですからテレビだけ見て勝手に東大生のイメージは作らないで下さい。毎年約3000人の東大生が誕生します。テレビには出てこない「スゴい」東大生だってたくさんいます。「普通」の中にある隠れた才能をどんな形であれ開花させ「スゴい」に変わることが出来るのが東大生だと思っています。ですから東大という言葉に臆することはありません。意外と身近なところに東大生はいます。(あぁ…いいオチが思いつかない…)

 

…はあ、大体話し尽くしたかな。長かったと思いますがここで終わりにしましょう。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

僕の奇妙な浪人物語(前編)

 

プロローグ

書き出しというのはどうしてこうも難しいのでしょうか。どうも、はやとちりです。先日、浪人時代からの友人Yが書いた浪人物語を読んでノセられるがままに、そして同時に流行に乗っかって僕も浪人物語を書いてみたいと思います。グダグダした稚拙な文章ですがご容赦ください。ちなみに結論を先に述べますと、二度と味わえないけどとても楽しい浪人生活でした。全ては浪人時代に出会った友人たちのおかげです。

 高3末2月〜4月まで

2017年2月24、25日、この2日間は現役時代の僕が東大入試に挑戦した日。1日目の数学が過去問に比べかなり簡単だったので「(本当にこんな簡単でいいのか?)」なんて思ったのをよく覚えています。2日目はまず世界史の第一問(古代史でしたね)に面食らい、そして英語で分からなさすぎてパニックになりました。そんなこんなで終わった入試。全く手応えはなく、そのまま高校の卒業式を終え、運命の3月10日を迎えました。

正午になって東大のHPで受験番号を何回も探しました。けれど僕の番号はありませんでした。予想していたけど、それでもショックで思わず涙が溢れてきました。だって寝る間も惜しんで、アホみたいに勉強したのに、その努力をあざ笑うかのように不合格の字を突きつけられたんですよ?泣かないわけないじゃあないですか。その後、高校に行って担任の先生に報告しました。そして何故か担任への申し訳なさから思わずまた泣いてしまいました。あんなに泣いたのっていつ以来だろう?それくらい悔しかったです。

僕は東大一本で挑んだので浪人確定でした。僕が落ち着いてきたころになって、担任に「どこで浪人するつもりなんや?」と聞かれたので「東京の予備校がいいです。駿台河合塾か、どっちがいいですか?」と聞き返しました。すると、「やっぱり東大なら駿台だろ」と言われました。駿台のパンフレットがあったので持ち帰ってどこのコースにしようか考えました。「じっくり基礎からやるコース(スーパー東大文系)」か「とにかく演習メイン(スーパー東大文系演習)」があったのですが、基礎が疎かだったはずなのにイキった僕は演習コースに決めたのでした。今から振り返ればこれはかなりの英断だったと思います(笑)。ちなみにですが僕の出身高校って結構駿台とズブズブの関係だったりするんですね(笑)。だから担任の先生も駿台を勧めてきたのでしょう。まあ、結局は最良の選択だったわけですが。

 3月は全く勉強せず、ゲームに明け暮れました。受験期は封印していたから多少はね?憐れみの目を向けられるのがイヤだったので交友関係はほぼ絶ちました。

4月に入り、東京の祖父母の家に引っ越しました。実は通常授業が始まる前に春期講習に参戦しました。「なるほど、これが駿台か〜」なんて思いながら講習と、よく分からないクラス分けテストを終え、LXというどうやら一番上のクラスに決まったそうです。

 浪人生活の始まり(4月から7月まで)

地元ではなく東京の、しかも駿台の総本山に通うということは名だたる超進学校(開成とか筑駒とか灘とか)出身の奴らが集うということですから「地方」出身の僕がいわゆる「ボッチ」になることは覚悟していました。「大学入ってから友達作ればいいや」なんて思っていました。だって「浪人生」ですよ?友達ができるなんて思うはずがないじゃあないですか。ところが、やっぱり「ボッチ」は寂しいもんで、5月に入る前にはもう「友達がほしい」なんて思うようになりました(笑)。あれは、確か日本史の時間だったでしょうか。同じクラスのSっていうやつが僕に声をかけました。

「ねえ、名前なんていうの?オレ、S(伏せています)っていうからよろしく!!」

こいつすげーな、これが第一印象です。そして同時に嬉しかったです。これがきっかけとなってSを中心としたコミュニティに入ることができたのです。

コミュ力最強で愛すべきバカのS、野球好きでクラスの多くからティラノとか黒すぎとか言われるY、イケメンなのに何か(何とは言わないけど)がおかしいN、おやつ大好きで少食でヤバいやつH、どんな話題もスベり知らずでぽっちゃりしたC、小柄でも食欲や食べる量は僕以上のK、奇跡的に高校は違うけど同じ石川県出身のM、ほっぺがかわいいD、12年間男子校で自他ともに認める「陛下」I、などなど個性豊かでおもしろい奴らと知り合いました。びっくりしました。まさか東京に出て、大学ではなく、しかも予備校なのにこんな友人ができるなんて思っていませんでしたから。休み時間になれば廊下にでてダベり、昼休みになれば前のキッチンカーでご飯を買って教室で食べるかどこか外食しに行って、バカみたいにしゃべって…そしてなぜか荒川の河川敷でサッカーしたり、前期が終わったら打ち上げに行ったりしていました。これが浪人生とは到底思えませんよね(笑)。

ちなみに彼らは個性がめちゃめちゃ強いですが、いわゆる超進学校出身ともあって頭はすごい良いですね。模試でも大体上位の常連ですし、「なんかヤバいところに来てしまったな、けどなんで東大落ちたんだろう?こんな奴らでも東大に落ちるんだから、俺なんて門前払いで良い方なんやろな。俺の知ってる世界は狭すぎた。これが本当の東大受験ってやつか」なんて思ってました。

 

さて、こんな感じにバカをやりつつ、勉強は授業の予習復習程度におさめていたので実は思ったより勉強はしていなかったようです。5月にあった駿台全国判定模試ではまさかの英語で偏差値51という伝説を叩き出し、周りからかなり笑われました。この模試、そこまで難易度は高くないので(河合の全統くらいかな?)東大志望としては非常にマズイ事態でした。どうやら僕はかなりの英弱のようです。後で公開しますが2次試験の英語は爆笑ものですよ(笑)。

 

勝負の夏休み

夏休みは自分を縛る意味で各タームに一個は講習をいれて(無理やりでも)勉強させるようにしました。朝講習受けて自習室にこもって、みたいな感じです。ですが息切れしてはいけないのでやるべきこと(To do リスト)を付箋に書いて自習室の自分のスペースに貼っておき、それが終わったら帰る、という勉強法を実践していました。ダラダラ長い時間適当にやるより、目標を明確化しておいた方が集中できるし、達成感を味わうこともできます。

もし、何かの手違いでこれを読んでる受験生、ないしは将来受験する中高生がいましたらぜひこの勉強法を実践してみて下さい。実際に夏休み明けの模試では随分と成績を上げることができました(特に国語と数学)。霜栄師の講義は講習でしか受けれなかったけど、この人のおかげで国語の伸びは半端なかったです。

語り始めるとつい長くなっちゃうのが僕の悪い癖。後半も書きたいことがたくさんあるので、グダグダした長い文章になる前に区切りもいいですし後期から2回目の受験までの話は後半に回すことにします。拙い文章ですがここまで読んでいただきありがとうございました。